2011年02月12日
要月山
長野市善光寺の仁王門から西に延びる県道399号線
新諏訪町で国道406号線と合流し鬼無里を経て白馬村に至ります。。
この通称「鬼無里街道」は善光寺への巡礼の道であると共に
昔は鬼無里の住民が麻や木炭などを大八車や馬の背に乗せ
善光寺周辺の問屋や商店に持ち込み現金化して呉服や布団・履物など
日用品を購入して鬼無里に帰った物流の道でもありました。。
今でも善光寺西側の桜枝町の鬼無里街道沿いには
呉服屋・履物店・日用雑貨店・布団店などの個人商店が
たくさん残っており往時がしのばれます。。
この善光寺街道と並行して山腹伝いに幅1mにも満たない
裏街道が残されています。。
今日は実家帰りのついでに
この裏街道を使い善光寺七池のひとつ狐池から要月山に登りました。。
西長野「西光寺」にある善光寺七清水のひとつ「夏目清水」
この他にもこの裏街道沿いには法蓮寺や諏訪神社などの寺社や
善光寺七清水の瓜割清水など名勝もあり人の往来も昔は多かったのでしょう
西光寺
西光寺「地蔵堂」
馬頭観音や庚申塔もひっそりと・・・
子供の頃この辺りで遊んでいると大八車の車輪の一部や
馬の大腿骨が路傍の土から露出していたのを思い出しました。。
当時は恐竜の骨と信じていたんです^_^;
薬師堂
道は要月山山腹の急斜面をトラバースするように付けられているので
崩れやすく昔の石垣が残っていますが土に埋もれてしまうのも時間の問題
道の一部がテラス状に拡張され幅1m程のテーブル状の石があります。。
この辺りの地面を掘ると古銭が出てくるので
子供の頃よく宝探し遊びをしました。。。
林内の道は廃道化が進み道筋も定かでなくなります。。
ここでで裏街道の斜面を登ると要月山の山頂部分に出ます。。
夕日ヶ丘 以前は東屋があったのですが取り壊されていました。。
長野市中心市街地が一望できます。。
要月山最高点にある要月山延命観音堂
里山は人の手が入らなくなると どんどん荒れていくのです。。。
何十年か前まで子供たちの遊び場だった雑木林は
倒木と藪で立ち入ることすら出来なくなっていました。。
新諏訪町で国道406号線と合流し鬼無里を経て白馬村に至ります。。
この通称「鬼無里街道」は善光寺への巡礼の道であると共に
昔は鬼無里の住民が麻や木炭などを大八車や馬の背に乗せ
善光寺周辺の問屋や商店に持ち込み現金化して呉服や布団・履物など
日用品を購入して鬼無里に帰った物流の道でもありました。。
今でも善光寺西側の桜枝町の鬼無里街道沿いには
呉服屋・履物店・日用雑貨店・布団店などの個人商店が
たくさん残っており往時がしのばれます。。
この善光寺街道と並行して山腹伝いに幅1mにも満たない
裏街道が残されています。。
今日は実家帰りのついでに
この裏街道を使い善光寺七池のひとつ狐池から要月山に登りました。。
西長野「西光寺」にある善光寺七清水のひとつ「夏目清水」
この他にもこの裏街道沿いには法蓮寺や諏訪神社などの寺社や
善光寺七清水の瓜割清水など名勝もあり人の往来も昔は多かったのでしょう
西光寺
西光寺「地蔵堂」
馬頭観音や庚申塔もひっそりと・・・
子供の頃この辺りで遊んでいると大八車の車輪の一部や
馬の大腿骨が路傍の土から露出していたのを思い出しました。。
当時は恐竜の骨と信じていたんです^_^;
薬師堂
道は要月山山腹の急斜面をトラバースするように付けられているので
崩れやすく昔の石垣が残っていますが土に埋もれてしまうのも時間の問題
道の一部がテラス状に拡張され幅1m程のテーブル状の石があります。。
この辺りの地面を掘ると古銭が出てくるので
子供の頃よく宝探し遊びをしました。。。
林内の道は廃道化が進み道筋も定かでなくなります。。
ここでで裏街道の斜面を登ると要月山の山頂部分に出ます。。
夕日ヶ丘 以前は東屋があったのですが取り壊されていました。。
長野市中心市街地が一望できます。。
要月山最高点にある要月山延命観音堂
里山は人の手が入らなくなると どんどん荒れていくのです。。。
何十年か前まで子供たちの遊び場だった雑木林は
倒木と藪で立ち入ることすら出来なくなっていました。。
Posted by ビーグル at 21:21│Comments(0)