2011年12月17日
砥石城山
夜勤明けで身体が重いので歩行時間が短く楽しめる山ということで
上田市の砥石城山へ行ってきましたっ

砥石城といえば
信濃の戦国武将「村上義清」が「武田晴信」の大軍を撃破した砥石崩しの舞台。。

復元された櫓門
砥石城は村上氏の出城で
小城ながら東西は崖に囲まれ攻めるには南西の砥石のような崖しかないという堅城でした。。
天文19年(1550年)9月の砥石城攻めでは武田軍7000に対し村上軍の城兵は500名ほど
しかし砥石のような崖を登ってくる武田兵に対し
城兵達は石を落としたり煮え湯を浴びせたりして撃退したんだそうです
たしかに尾根道は急なうえ
黒色泥岩が風化した砂礫で大変滑り易く登り辛い地形です


今日は武田軍の総攻撃と同じ南西尾根から山頂に至る伊勢山コースを歩きましたっ
この辺りには激戦を物語る血の池・血の川といった地名が残っています

砥石城址のある砥石城山山頂

今日は富士山も望めました☆


神川に 架かる上信越自動車道の上田ローマン橋 と 子檀嶺岳遠望


本城跡

西には東太郎山がよく見える

本城跡から桝形城跡の間には弓矢の柄に使う矢竹がたくさん生えている


米山城跡
米で馬を洗い敵方に水が豊富にあると見せかけたというのが山名の由来
そういえば祖父がここで採取した炭化米を見せてくれた記憶がある。。

村上義清公の碑

米山山頂より 達磨山・烏帽子岳・殿城山
千曲川両岸の里山には山城跡が多いので まるで城跡巡りをしているようです。。
上田市の砥石城山へ行ってきましたっ

砥石城といえば
信濃の戦国武将「村上義清」が「武田晴信」の大軍を撃破した砥石崩しの舞台。。

復元された櫓門
砥石城は村上氏の出城で
小城ながら東西は崖に囲まれ攻めるには南西の砥石のような崖しかないという堅城でした。。
天文19年(1550年)9月の砥石城攻めでは武田軍7000に対し村上軍の城兵は500名ほど
しかし砥石のような崖を登ってくる武田兵に対し
城兵達は石を落としたり煮え湯を浴びせたりして撃退したんだそうです
たしかに尾根道は急なうえ
黒色泥岩が風化した砂礫で大変滑り易く登り辛い地形です


今日は武田軍の総攻撃と同じ南西尾根から山頂に至る伊勢山コースを歩きましたっ
この辺りには激戦を物語る血の池・血の川といった地名が残っています

砥石城址のある砥石城山山頂

今日は富士山も望めました☆


神川に 架かる上信越自動車道の上田ローマン橋 と 子檀嶺岳遠望


本城跡

西には東太郎山がよく見える

本城跡から桝形城跡の間には弓矢の柄に使う矢竹がたくさん生えている


米山城跡
米で馬を洗い敵方に水が豊富にあると見せかけたというのが山名の由来
そういえば祖父がここで採取した炭化米を見せてくれた記憶がある。。

村上義清公の碑

米山山頂より 達磨山・烏帽子岳・殿城山
千曲川両岸の里山には山城跡が多いので まるで城跡巡りをしているようです。。
Posted by ビーグル at 23:55│Comments(0)